公開 / 更新
子育て

大人こそリテラシーが必要!?  SNS時代だからこそ気をつけたいこと

大人こそリテラシーが必要!?  SNS時代だからこそ気をつけたいこと

ネットニュースのコメント欄やSNSが荒れて炎上ということをよく耳にします。ウェブメディア側もSNS上で盛り上がりそうなトピックを選んで投稿しているのもありますが、読んで気持ちが煽られることも多いのではないでしょうか。今回は、私たちの中に潜むある心理を取り上げつつ、SNS時代に気をつけていくべき点を見ていきたいと思います。

日経DUAL記事

ネットの覆面性と1億総評論家時代

今はネット上で、自分の言葉を簡単に発信できる時代。メディアが芸能人のプライベートをニュースにすれば、そこには何千、何万のコメントがつくことはしょっちゅうです。情報が筒抜けで、だれもがそれにリアクションできる昨今は、「1億総評論家時代」や「1億総ツッコミ時代」などと言われているようです。

とくに不倫などのネガティブなニュースは、みんながここぞとばかりに集中攻撃。有名人であれば、好印象のコンテンツで話題になりたいのに、悪い方ばかりがエスカレートしてしまうということも多いように思います。

「国際会議を成功させる秘訣は、インド人を黙らせて、日本人にしゃべらせることだ」というジョークがあるくらい、国際的に見れば日本人は意見下手で自己主張しない人種と言われています。それなのに、ネット上では自由な発言が飛び交い、炎上することもたびたび。これはなぜなのでしょうか? これは、ネット社会の覆面性と、ある1つの心理が関係しているように思います。

「他人の不幸は密の味」の心理とは?

「シャーデンフロイデ」 これは、他者の不幸や失敗を見聞きした時に生じる、喜びや嬉しさなどの快い感情を表すドイツ語です。このシャーデンフロイデは、古今東西問わず見られる人間の感情の1つとして知られています。よって、私たち日本人にも当然存在します。「他人の不幸は蜜の味」や「メシウマ(人の不幸をおかずにするとご飯が美味しくなるというたとえ)」、それらと同義で、言ってしまえば、「ざまあみろ」の心理です。

シャーデンフロイデは、自分にとって妬ましい存在に対して起こりやすいのですが、一般的に妬みというのは、自分より上だと感じる相手に感じやすいものです。芸能人をはじめとする著名な人たちは、なにかが秀でて有名になっていることが多く、美人だったり、イケメンだったり、スタイル抜群だったり、そして裕福だったり。「うらやましいな」と思うポイントが多い分、妬みの対象となってしまうことがあります。そんな存在が不祥事を起こしたら、それ見たことかと飛びついてしまう、これがシャーデンフロイデなのです。

情報が筒抜けのSNS時代だからこそリテラシーが必要

しかし、問題はこの毒のような感情を持つこと自体ではないように思います。脳の働きを調べると、他人の不幸により、“快感”や”報酬“を司る部位が活発になることがわかっており、メシウマは、いわば私たちに備わった感情の1つであり、ごく自然な現象だからです。

真の問題は、その感情を他人にシェアすることではないでしょうか。昔であれば、この美しくない感情は自分の中に留めておいたであろうに、今の時代は覆面性を保ったまま、他人の不幸を喜んだり、相手をこき下ろすことが簡単にできてしまいます。成功している芸能人の不倫ネタを酷評することで、不公平な世の中に対する不満や鬱憤を晴らしている人もいるでしょう。

ツイートとは、もとは小鳥がさえずることを意味する英語ですが、もはやツイッターはさえずりの場ではありません。自分としては、スマホ画面に向かって独り言をつぶやいたつもりでも、その奥に何千、何万の人がいるのです。

コロナ禍において、子どもへのメディアリテラシー教育の重要性が再認識されましたが、大人も同様に必要です。シャーデンフロイデを簡単にシェアできてしまう時代だからこそ、気づかぬうちにだれかを傷つけているかもしれない。このことをぜひご家庭で話し合ってみてほしいと思います。

SNSについて親子で話し合ってほしい2つのこと

とくに親子間で振り返ってほしいのは次の2点です。

・本人に面と向かって言えることをつぶやいているか
・それを自分が言われても傷つかないか

著名人のニュースはあくまでわかりやすい例として挙げたので、自分たちの身の回りの「だれか」に対して文字にする際に、この2つのことを考えてほしいと思います。

先述の国際会議のたとえからもわかりますが、日本人は元来意見を戦わせることは苦手です。よって、そんな日本人が意見を持ったり、自己主張をしたりすることは推奨されるべきこと。でもネット上で好き勝手なことを発言するのは、果たして意見や自己主張と言えるのでしょうか? 浸透性と覆面性を併せ持つネット上の世界は容易に残酷な場にもなりえるので、自分の発言がどこまで届くのかを考える必要があると思うのです。

「他人の不幸で自分の飯だけがうまい」のであれば、それはそこで完結できますが、画面に流れ続ける文字に自分も乗じてしまえば、その声もそこに乗ってまただれかのところに流れていってしまうことになります。そして当然のように、その時ターゲットになった本人の目にも触れることになるでしょう。ある人にとっては蜜の味が、当人には死にたいと思うほどの傷となりうるのです。

SNS自体がストレスや悩みになっている場合も

ストレスの吐き出しに使っている人も多いSNSですが、実際にはそこからストレスをもらっている人も多いもの。出口でありながら、入り口でもあるので、いつかストレスになるかもしれないというリスクも踏まえて使用する必要があると思います。

たとえば、SNSがいつのまにか自分の承認欲求を満たす場の中心になってしまうような場合です。昔であれば、家族や友人など直接会える人から認めてもらっていたものが、今は見ず知らずのだれか、さらには国境を越えた海外の人からも「いいね」などの形で認めてもらうことができる時代です。また、これまでは有名人しか得られなかったような賞賛が、SNS上ではだれでも可能になってきています。自分の発信が認められれば、その嬉しさでさらに傾倒していく人もいるでしょう。しかし、画面の向こうには行きつけないほどたくさんの人々がいます。そのため、そこで認められたいという思いはどうしてもエスカレートしてしまいがちです。

「昨日よりも今日の投稿の方が“いいね”が少ない」
「否定的なコメントがついた」

このようなことで気持ちが揺れ、そこに虚しさを感じる人もいるでしょう。中には、家族や友人との関係がうまく行かずにSNSにハマった人もいると思いますが、そこでも動揺することが増えれば、ストレスはもっと増してしまいます。

「SNSは楽しむ程度に」というのがあるべき姿で、虚しさや焦りを感じ始めたら、そこから身を引くのも自分のためです。承認欲求を新たな趣味や学び、仕事など別の方向で満たそうとする働きかけも大事だと思います。

共感性羞恥タイプの人はSNSから距離を置くのも手

また、読むだけで書きこみをしているわけではない人でも、荒れたコメント欄を見るだけでもやもやしたり、イヤな気持ちにさせられたりする方は多いと思います。そういう方は、「共感性羞恥」と言われる、他人の失敗を自分の失敗のように感じる心理が働いているのかもしれません。他者の不幸に共感するあまり、脳がそれを痛みとして感知する、これが共感性羞恥というものです。「気の毒で見ていられない」と思う方はそれが強く出るタイプなのかもしれません。そういう場合は、ネットを閲覧するときもニュースだけ読んで、コメントはあえて閉じるとか、SNSから離れるというのもいい対処だと思います。

節度あるネット利用をするためにも、お子さん共々、それぞれにあった利用法を検討してみてください。

著者プロフィール

育児相談室「ポジカフェ」主宰&ポジ育ラボ代表
イギリス・レスター大学大学院修士号(MSc)取得。オランダ心理学会(NIP)認定心理士。ポジ育ラボでのママ向け講座、育児相談室でのカウンセリング、メディアや企業への執筆活動などを通じ、子育て心理学でママをサポート。2020年11月に、ママが自分の心のケアを学べる場「ポジ育クラブ」をスタート。著書に「子育て心理学のプロが教える輝くママの習慣」など。HP:megumi-sato.com

  • twitter
  • はてなブックマーク
  • LINE
300_250

関連記事

新着記事