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子育て

教育虐待で子どもを潰さないために知っておきたいこと

教育虐待で子どもを潰さないために知っておきたいこと

子どもたちが生きていく環境がめまぐるしく変化している今、それに不安を感じる親が、「あなたのため」という言葉で子どもを追いつめていってしまうことがあります。ここでは、今、社会問題になりつつある「教育虐待」について取り上げていきます。

日経DUAL記事

教育虐待という新しい概念

ここ最近聞くようになった「教育虐待」という言葉。2011年に「日本子ども虐待防止学会」が提唱した概念です。一般的に良いものとされる「教育」、それが100%悪とされる「虐待」と組み合わさっています。では、教育虐待とはいったい何を指すのでしょうか。

日本子ども虐待防止学会によると、教育虐待とは「子どもの受忍限度を超えて勉強させること」としています。近年では、勉強のみならず、行き過ぎた習い事全般をも指すようになってきているようです。

記憶に新しいところでは、自分と同じ名門中学に入れたかった父親が、小学6年の息子を刃物で脅し続けて勉強させ、殺害した事件(2016年・名古屋)や、5歳の娘に朝4時起きで九九などの勉強を強制し続け、ひどい虐待で死に至らしめた痛ましい事件(2018年・目黒)。これらは教育虐待としても捉えられています。

なぜ今、教育虐待? その背景にあるもの

しかし、このような残忍な事件だけが教育虐待ではありません。名古屋や目黒の事件は、その最たるものであって、先ほどの定義にもあるように、「子どもの受忍限度を超えて勉強させること」が“教育虐待”になるわけです

昔から、“教育ママ”という存在はありましたが、今この時代に新たに教育による虐待が注目されるようになった背景には、ここ最近のめまぐるしい環境変化による親の不安感が影響していると思われます。

・今後10~20年程度で約半数の仕事がなくなる
・英語ができないとグローバル社会では通用しない
・多くの仕事が今後AIにとって代わられる

こんなことを聞くことが増え、これまでのようにやっていては通用しなくなるかもしれないという危機感に私たち親は日々さらされています。時代が大きく変化している時期ゆえ、どう転んでも大丈夫なようにと、あれもこれもと取り込みたくなるのは自然な流れと言えるのかもしれません。

「自分のできなかったことを子どもに託したい」という親の歪んだ願望がもたらす教育虐待もありますが、もっとも起こりうるのは、親の不安や焦りから来る、行き過ぎ教育の方だと思います。

自分は子どものために正しいことをしている」と悪気なく踏み込んでいくうちにエスカレートし、気づかぬうちに教育虐待に至っている、これが一番起こりやすいケースなのではないでしょうか。

教育は国民の義務、しかし虐待にもなりうる

教育虐待という問題が深刻化しがちなのは、「受忍限度を超えて勉強させる」といっても、どこが限度なのかが見えにくいからでもあるでしょう。

「義務教育」という言葉があるように、教育は義務。子どもに教育を受けさせることは憲法に定められた「国民の三大義務」の1つです。しかし限度を超えると虐待になりうる……。

・どこまでが“良しとされる教育”で、どこからが“教育虐待”になってしまうのか、その線が見えないために気づいたら行き過ぎた教育になっている
・一般的に「教育」というのは良いものだと刷り込まれている分、「正しいことをしている」と自分の判断を疑うことなく突き進んでしまう

教育は良いことだと広く認識されているので、害にもなりうることを許容しにくく、迷いのない前進を加速させてしまうのかもしれません。

「児童虐待の定義」と照らし合わせてみる

では、「限度を超えた」とどこで判断すべきなのか? 厚生労働省のホームページに掲載されている「児童虐待の定義」は1つの指針として参考になると思います。

国が示している虐待には、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の4つがあります。教育虐待はこれらを複雑にからめ、教育を押し進めようとすることで起こりやすいと考えられます。とくに関連が深いのが、身体的虐待と心理的虐待でしょう。

・勉強をしない
・成績が落ちた
・何度も同じ間違いを繰り返す

このようなときに、子どもを叩いたり、蹴ったり、あとはひどい悪態をついたり、暴言を吐いたり……。これらは、「いざとなれば力ずくで制すればよい」と別の意味での教育をしてしまっています明らかに有害です

ただ、教育虐待は上記のような「力ずく」の方法だけでなく、子どもを遠隔にコントロールしている場合もあります。怒鳴ったり、叩いたりという明白な攻撃ではなく、過管理、過干渉で子どもを「意見を持たない子」にしてしまい、親がすべてお膳立てして子どもはそのレールに乗っていくケースです。

この場合、子どもは親のやり方に依存している分、丸く収まっていることが多く、思春期、または大人になって、「うちの親はやり過ぎだった」と気づくのです。こちらは、虐待の定義の上に置いても、「該当しない」となるので、とくに気をつけなくてはいけないケースとも言えそうです。

同一視、私物化しないために幼少期から意識したいこと

教育虐待に限ったことではありませんが、子育ては、親が子どもを自分と重ね合わせる“同一視”をしたり、子どもの成功は親の成功と勘違いし“私物化”してしまうと、大きく歪んでいってしまいます。大事なのは、どんなに小さな時期であっても、一個人としてリスペクトすることです。

リスペクトを忘れてしまうと、

・他の人には絶対に言わないような暴言を子どもには平気で発したり(例:「バカじゃないの」「最低人間」「どこか行っちゃいなさい」など)
・「あなたのため」ということを前面に出し、子どもの意見は聞かずに親が決めてしまったり

ということが起こります。

親は毎日子どもと一緒にいるので、何でも分かっている気持ちになります。たしかにだれよりも理解しているのですが、でも本人ではありません。

親子関係はともすると親が上で子どもは下のような主従関係になってしまうことがありますが、親が子どもの行動をコントロールしようとするとうまくいかなくなります。

わが子を一個人としてリスペクトする、少し抽象的かもしれませんが、「この子にもこの子なりの考えや意思がある」と、自分から切り離して見ようとすることは、教育の行き過ぎを防ぐいい対策になってくれます。

小さいときほど、同一視や私物化は起こりやすいですので、早い段階から意識して取り入れることをおすすめします。

著者プロフィール

育児相談室「ポジカフェ」主宰&ポジ育ラボ代表
イギリス・レスター大学大学院修士号(MSc)取得。オランダ心理学会(NIP)認定心理士。ポジ育ラボでのママ向け講座、育児相談室でのカウンセリング、メディアや企業への執筆活動などを通じ、子育て心理学でママをサポート。2020年11月に、ママが自分の心のケアを学べる場「ポジ育クラブ」をスタート。著書に「子育て心理学のプロが教える輝くママの習慣」など。HP:megumi-sato.com

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